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時は19XX年。 エントリヒ帝国は、ついにエターナル・コアの構造解明に成功。 その技術は瞬く間に全世界へと広がり、 人類は独力によるコアの製造を可能とするようになった。 当然ながら爆発的に増加するMAIDたちの数。 ――それは、Gによる陵辱の時代の終焉を意味していた。 ********************************************** "The Last Smoker" ********************************************** 「……ねぇ、おじちゃん。だいじょうぶ?」 不意にかけられた少女の声でカ・ガノ・ヴィヂは目を覚ました。そして目が覚めるという行為によって、自分が今まで意識を失っていたことにも気付かされる。 周囲に目をやれば、そこは荒れ廃れた街の路地裏の一角。だらりと両足を前に投げ出したまま、崩れかけの壁に背を預けて彼はそこに座り込んでいた。 「……おじちゃん?」 大丈夫であろうはずが無い。 つい先ほどまで自分一人と二体のマンティスだけで、エントリヒ帝国正規軍二個小隊と七体のメイドを相手に大乱闘を繰り広げていたのだ。 体が軋んで、恐ろしく重たい。 ただ、刺された箇所、斬られた箇所、撃たれた箇所、爆破された箇所、焼かれた箇所などなど、体中に刻まれた無数の傷は一眠りしている間に全て癒されたようだ。その点は、自分にエターナル・コアを埋め込んでくれた酔狂な人間共に感謝せねばなるまい。 だが残念なことに、科学者たちの名付けた“永久に輝く核(エターナル・コア)”という言葉には語弊があったことを、今まさに痛感せざるをえないということもまた同様の事実だ。 残酷なまで多く刻み込まれた傷の高速再生に加え、何よりも彼の場合はそのあまりにも長きに亘る使用年数。自分ほどフル稼働していない同期のMAIDたちの中ですらすでに終焉を迎えた者もいるというのに、むしろこの年数もっていたことの方が奇跡に近い。 そして今、光を吐き尽くしたそれはついに永遠の輝きを失ったのだ。 「ハハ、まぁあんまり大丈夫じゃねぇなぁ、嬢ちゃん」 きょとんとした表情で首をかしげる年端もいかぬ少女。 その握り締めているぼろぼろの熊のぬいぐるみと纏っている煤けたワンピースごと、真っ二つに切断して殺してやろうという思いも胸を去来したが、もはや彼の両腕に超硬質単分子構造刀を生成する力は無かった。いや、と言うよりも腕を動かすことすらすでにままならない状態だった。 「俺のことよりもよぉ、嬢ちゃん。なんでお前こんな所に居る? まだGが居るかもしれねぇんだぞ。親はどうした?」 カ・ガノは半ばやけくそで少女に話しかけてみた。 もちろん、実際のところ少女を心配する気など毛頭無い。だがこの状況では、恐らく自分自身の方が少女よりも先に機能を停止してくたばるだろう。であれば、最期ぐらい“優しい親切なおじさん”を演じてみるのも面白いかもしれない。 そう思っただけだった。 「パパとママはずっと前に死んじゃったよ……“じぃ”にころされたって、おばあちゃん言ってた」 「……そうか。そりゃあ悪かったな」 何故か唐突に謝ってしまった自分に驚く。 少し寂しそうに笑いながら「いいの、もうずっと前のことでよくおぼえてないし」と語る少女の揺れる瞳に痛む心は、まさか良心の欠片の叫びだろうか。いやそんなはずは無い、人の心などプロトファスマへと生まれ変わるときに全て捨て去ってきたはずだ。 しかし今、どういうわけか、くたびれた体よりも以前は心が置いてあった場所の方が疼いて仕方が無い。超低温の氷を直に肌に焼き付けられているような痛みだった。 小さく「クソっ」と呟いたカ・ガノは、ほとんど動かない腕を無理やり引きずってコートの内ポケットに手を伸ばした。 こういうときはとりあえず一服するに限る。この紫煙を吸い込んでボヤけた頭の中を整理すれば、下らない疼きなどすぐに消えるだろう。まぁこの煙草の火が先に消えるか、自分の命の方が先に散るか、正直微妙なところだが、それはそれでどうでもいいことだ。 しかし、最後の一本を咥えてカチリと火を付けたところで、じいっと彼の挙動を見つめていた少女が「あっ」と小さく悲鳴を上げた。 「たばこはね、いけないんだよ! けんこーにわるいからダメなんだよ!」 「…………は?」 自分の言っている言葉の意味が果たして分かっているのかどうか、恐らく分かっていないのだろうが、それでも少女の言動にカ・ガノは拍子抜けした。まさかこんな所まで禁煙ブームが広がっているとは、人類の煙嫌いも大したもんだ。 思わず破顔し、その後それに対してぷぅっと頬を膨らませて抗議する少女の姿に誘われた彼独特の掠れた哄笑が路地裏に響く。 「ハハッ、フハハハハハ! そうか、ダメなのか! いやいや俺はいぃんだよ、だっておじさんは悪い人なんだからね」 こんなに腹の底から笑ったのは、いつ以来だったろう? 「おじちゃん、わるいひとなの?」 「そうだよ、凄い悪い人だ。嬢ちゃんが想像するよりずっとずっと悪い人だ」 嘘は言っていない。 俺は悪い人なのだ。 いったいこの手で何人の人間を殺してきただろうか。百? 五百? それとも五千? いや、自分がこれまで指示した全ての作戦を合わせれば、その数字は天文学的数字に上るかもしれない。 無慈悲で容赦なく残酷な殺人鬼。動機が何であろうと、今の自分はそれ以外の何者でもない。 「でも……」 少女は少しだけ彼を見つめ、そしてはっきりと言葉を紡いだ。 「そんなふうには見えないよ、すごくいいひとみたいに見える」 「……どうして?」 我ながら酷な質問だな、とカ・ガノは自分を嘲った。 こんな小さな少女に、“いいひとに見える”根拠を訊くなど馬鹿げている。そもそも、子供の信仰の根拠の九割は必ずと言っていいほど「何となく」に集約されるのだから。 しかもその答えを聞き出したから何だと言うのだろう。 自己が悪であるという事実を気付きながら、その一方でそれを認めようとせずに小さな命にその根拠を求めている姿は、誰から見ても愚かで滑稽だ。 「おじちゃんはすごくきれいな目をしてる、から」 少女の言葉にハッとした。 さっきからどうも自分の顔に違和感があると思っていたが、その理由がハッキリしたのだ。 カ・ガノの盲いだ目を覆い尽くす強固なベルト――どんな色彩も闇へと葬る掟であり、彼がプロトファスマとして人類に報復を誓ったときから一度も外したことが無いそれが、今の自分の顔には無かったのだ。 激しい戦闘の際に吹き飛んだのか、それとも彼が目を覚ます前に少女が外してしまったのか、それは定かではない。いやしかしむしろ重要なのは、それが今無いという事実そのものの方である。 無論、その覆いが無くなったところで所詮はすでに機能を失った眼球、それで光は見ることは到底出来るはずもない。 しかし彼が感知しようとしまいと、路地裏に差し込む光が彼の目に宿ることは出来る。事実、焦点の定まらない彼の瞳は柔らかい光が入り込むことで、大粒のエメラルドのごとき気高くも穏やかな光を静かに湛えていた。 ――なるほど、無垢な視線で見ればそれは確かに“すごくきれいな目”に違いない。 「俺の――――」 「……え?」 もう一度訊ねるのは、思いのほか勇気が必要だった。 「――俺の目は、そんなに綺麗か?」 自分が恥ずかしいことを口にしているなど先刻承知だ。 それでもどうしても聞いておきたかった。コアが停止し、この命が一本の煙草から漂う紫煙と共に消え行く前に、どうしても聞いておきたい。 もう一度だけ、歪みも偏見も無い目線で見た自分の姿を表す言葉を。 「うん、すっごくきれいだよ。ほうせきみたい!」 ただひたすらに純粋な響きが心地よかった。 ああ、これだったのだ。俺が求めていたものは。 あの地獄のような303作戦の後、全てを捨てて裏切った人類への報復を誓った。 報復すれば、この焼け付くような心の渇きは癒されると思っていた。情けを捨てて本能の赴くままに殺し続ければ、いつか求めていたものに届くと信じていた。 だが実際は何も手に入れていないことに、だいぶ前からもう気付いてはいた。 新しい仲間も出来た。充実した時間も過ごした。悦びゆえに全身があわ立つような戦闘の境地も経験した。恐怖と畏怖の入り混じった称号も手にした。そしてそれら全てに伴う裏切った人類の数多の命も手に入れた。 だが贅沢を持ちきれない両腕とは対照的に、いつも心は何かに飢えていた。 当然だ、手に出来るはずもない。 それは自分が狂気に笑いながら振る舞ったところで、近付けるものなどではないのだから。いかに無様に足掻こうとも、ただ遠ざかるだけだったのだから。 何故今まで気付かなかったのだろう? 何故人生の幕引き間際になって気付いたのだろう? 何 故 気 付 い て し ま っ た の だ ろ う ? 「おじちゃん、ないてるの?」 小さな質問。 「…………いや、ちょっと光が眩しかっただけだ」 自分の咄嗟の言葉に、泣いていることを必死で隠そうとするガキみてぇだな、とカ・ガノは苦笑いした。 まぁしかしそれはあながち間違いではなかったかもしれない。今彼は、あまりにも身近にありすぎたために気付けなかった癒しを教えてくれた相手に、この如何ともしがたい悲しさと寂しさを知ってほしくはなかった。 「……なぁ嬢ちゃん。俺はお前の言うとおりホントはすげぇ良い人かもしれねぇ。もしそうだったら、この煙草は吸っちゃいけないもんだ。 だから、悪いがちょっとこの火を消す水かなんかを持ってきてくれねぇか? そんなたくさんじゃなくてもいい」 「あ、おじちゃんもたばこがいけないってわかってくれた? うん、いいよ! ちょっとまってて!」 自分の主張が通ったことが余程嬉しかったのか、少女は満面の笑みを浮かべた。そして自己の論理を完結させるために必要な、容器に入った水をどこかからか工面すべく急ぎ足で立ち去る。 カ・ガノの口が僅かに微笑むように歪んだ。 俺の道の先には二つしか行き先は無かった。 奴らはその内の一つを潰した。つまり俺にはあと一つしかなかったんだ。 俺はその残った道を突き進んだ。なのに、何故今後悔をしている? 俺にはあのとき道は片方しか見えなかったぜ? ………………。 …………いや。 そうか、そういうことか。 見えなかったんじゃねぇな。 俺は―――― 俺はただ―――――― 意識が薄れていくのを感じた。 先ほどまで重たくて仕方が無かった体からはその痛みも苦しさも消え、羽さえ生えてくれば自在に空を飛べるのでないかと思うほどに軽やかに感じる。コアの力がフルパワーで発動しているときですら、これほどの軽やかさを身に覚えたことは無い。 そしてその自分を包み込む光を見た。 もはや見えるはずの無い光。闇の中を手探りで求め続けていた光。 光の中で、笑う懐かしい面々。 今さら彼らが誰だとか思い出す必要も無い。わざわざ思い出さなくとも、あの日から――まだ世界の全てが見えていたあの日から忘れたことなどない。 苦楽を共有し、共に笑い、共に泣き、共に怒り、そして最期の最後まで互いのために命を賭けあった勇士の馴れ合い。 「いよぉう、ブリュンヒルデ…… それにロゼ、ファービー、メリッサ、ライデン、おっとノロマのガリバルディもいるのか……? おいおい……なんだ…お前ら……元気……そうじゃねぇか…………。 ……ハハ……ったく、心配し……て…………損し……た……ぜ…………」 驚くほどか弱いカ・ガノの最期の呼吸によって根元まで灰と成り果てた一本の煙草は、ついに重力に逆らえずその姿を粉塵として地に果てた。もはやそれは元の形に戻ることなど出来ず、己のただ焼き尽くされて捨てられる運命を受け入れるしかなかった。 そしてそれは口に咥えていた本人のそれと何ら変わりは無い。 己の喪服とも言える漆黒のスーツで覆われた体から感じられる生気は枯れ、もはや人の形をしただけの塊へと刻一刻と成り果てる。 強靭なエネルギーで活性化され続けていた体内の細胞は一気に死滅し、そこに溜め込んでいた水分の爆発的な揮発によってカ・ガノの体表面はまるで出来損ないの陶器人形のようにひび割れて結晶化していった。手の指先など細い部分からぼろぼろと崩れていく様は、まるですり砕かれたガラスのそれに近い。 ついには最期に流した涙さえも乾き、頬には枯れた小川のような筋が一筋残るだけだ。 ただ―― 「おじちゃん、おみずもってきたよ?」 ただ、閉じることの無い瞳に光は消えず、 「おじちゃん?」 微笑みを湛えた口からは苦しみは読み取れず、 「――――おじちゃん?」 果てた生き様に迷いは見出されなかった。 19XX年 6月27日 エントリヒ帝国辺境都市「フリューゲル」において、レギオンの最高幹部「カ・ガノ・ヴィヂ」の残骸を確認。 これにより地上の全Gの殲滅を完了。 プロジェクト「FOM」の無期限終結を決定する。 [戻る] |